2013年3月12日火曜日

荒川チョモランマ『   』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

今日は芝居見物のハシゴしたよ。ひとつめがこれだ。
しかし、タイトルがわからない。隠してるんだよね。なんでだろう。どういう意味があるんだろう。芝居のタイトル隠すって。不思議。

場所が、巣鴨教会ってとこで。これも変わってるよね。今日一日限りの芝居。3/11に合わせたらしい。テレビをつけるとさ、そういう震災の特集番組が並んでいて、なんというか、その、、、あれだよね。気持ちはわかるけどさ。そこまで3/11に合わせなくちゃならないのって思ってしまう。

たとえば母の日とかあってさ、その日はみんなお母さんにやさしくしようとか、カーネーションをプレゼントしようとか言っちゃってさ。おれ、ああいうの大嫌い。母の日だからやさしくすんの? いつもやさしくしろっての。
世の中そういうの多いよね。「なんとかの日だから」っていう理由がないと、なんにもしないってのかよ。

ごめん、なぜか、興奮しちまったけど。荒川チョモランマの芝居も、3/11に合わせた芝居だった。いや、それについては、特に不満なんかありません。

1日3公演。ぼくは真ん中の、17時の回を観劇。
芝居見物のときはいつも早めに着くようにするんだけど、今日はいろいろあって、開演ぎりぎりの到着。でも5分押したんで、息を整えることができた。会場に入ってびっくり。あまりの観客の少なさに。まあ、仕方ないよね。平日の夕方。普通に働いてる人で、行ける人のほうが珍しいって。

最初のシーン。暗いなか、男が懐中電灯を持って登場。舞台をわざわざ一周してから、台詞を言い始める。

そんときのぼくの心のなかの言葉。
「おいおいおい、登場したらすぐに台詞を吐きゃいいんだよ。わざわざ一周する必要なんざ、ねえだろう」
でもこれは後で、男が好きな女性と追いかけっこするシーンの伏線だったんだよね。ぼくが間違ってました。すんません。
それから、最後にも爺さんになった男が、空想のなかの好きな女性と追いかけっこするんだよね。

いや、それでもやっぱり最初の『わざわざ舞台一周』は必要ないような気がするな。冗長だと思うな。細かいことだけど。


違和感があったのはそこじゃなくて。
最初に登場して、「これからぼくの知ってるすべてを話します」と言っていた男は、幾つだったんだろうってこと。まだ若かったはず。少なくとも老人ではなかったはず。
ところが、最後のシーンでは男は老いていて、好きというわけではなかったもうひとりの幼馴染みと結婚している。
最初に登場した男は、幾つだったの?
「これからぼくの知ってるすべてを話します」って、未来の老後のときのことまで知ってたの?

もし最初に男に説明的な台詞を喋らせたいのなら、その男は老人にすべきだったのでは。

それに関連して、ぼくの意見は以下のとおりです。
最初に男が登場して、説明的な台詞を言う場面は必要なかった。途中、時間が逆行して、子供のときのことに戻ったりしたけど、それにも意味はないのでは。
子供のときから大人になるまでのエピソードを順番に語っていけば、それでよかった。時間を前後させる必要は特になかった。いや、まあ、ひとつの意見として。
好き勝手言ってます。ごめんなさい。


上演が始まってすぐに思ったこと。
「ああ、これは。途中で眠くなってしまうパターンかも。眠いの我慢するのやだな~」
(最初に一周するのが、よっぽど冗長に思えたんでしょうね、てへへ)

ところが、不思議と眠くならなかった。不思議って言っちゃ悪いね。でもそうはならなかったのは、役者の面白さであり、演出のいろいろな工夫があったからなんだろうなあと。飽きさせない工夫があった、と思う。後ろの席に座ってたら、ほんのり雪が降ってきたりしてたし。なんかすっごい微妙~って思った。気づかない人も一杯いたろうな。


「隣の国では戦争をしているらしい。でもぼくには関係ない」
新聞を破って捨てる男。
でもヨシタケ(だっけ?)がチリにいて、そのとき大地震が起こったと聞かされると、破った新聞をつなぎ合わせて読もうとする。
ああ、なんかすごくいいシーンだったなあ。
でもそのへんのイメージをもっと掘り下げたり、広げたりできたらよかったのになあとも。欲張りですが。


次の芝居の開演まで時間がなかったので、終演と同時に席を立ち、会場をあとに。忙しなくて申し訳ない。




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