2013年3月8日金曜日

東京演劇アンサンブル『忘却のキス』

やあ、みんな。まあちゃんだよ。

昨日は西武新宿線は武蔵関に行ってきたよ。急行で上石神井まで行って、そこから各駅停車で一駅だ。

武蔵関は、ぼくが東京に来て初めて住んだ場所。住んでたところにも行ってみた。
ここだよ。

北海道からの学生を受け入れる北海寮。
でも建物は新しくなってる。なんか綺麗。
ぼくがいた頃はテニスコートなんかもあったような気がするけど、そういうのは無し。
隣にTSUTAYAやファミリーマートがあったりして、なんだか便利そう。

久しぶりに武蔵関に来たけど、なんにも覚えていない。
来たら何か思い出すかもしれないとおもったけど、なんにも思い出さない。
寂しい駅だけど、駅前には、白木屋だったかな、居酒屋なんかもあった。


どうして武蔵関に来たかというと、芝居見物のためでした。
東京演劇アンサンブル

学生のときに一度くらいは観たような気がする。だから何年も何年もずっと昔のことになる。
どんな芝居だったのか。覚えてない。でも、あんまりよくわからなかったなあという印象がなんとなくある。
今回はどうなんだろう。あの頃よりはもうちょっとはわかるんじゃないのかなあと思いながら、ブレヒトの芝居小屋まで歩いた。
東京演劇アンサンブルは、ずっとこのブレヒトの芝居小屋で、芝居を上演しているのだ。
待合室のポスターなんかを見ると、55周年という文字が見えた。
ひえーっ、そんなに長いことやってんのか。すごいなあ。


7時に開演して、9時半終演。2時間半は長かった。正直くたびれました。
広い空間で、舞台が真っ白で綺麗でした。壁がパネルになっていて、クルクル回転して、役者の出退場の通路になる。その感じがとっても面白かった。

医師役の白髪のおじいさんが、よかったです。

アコーディオンの演奏があって、それも素晴らしかった。


物語はというと、、、よくわかりませんでした。
ある突発的な出来事から結びついたカップルがいて、旅行に行ったり、喧嘩したり、仲直りしたり、別れたり(もしたっけ?)。男のほうが死んで、女はその告別式で知り合った男とまた付き合うようになる。

女のベッドの周辺にはたくさんの人がいて、なんか喋っている。彼らは幽霊? そのなかには、つきあっていた男もいたしね。観客には顔を向けず、終始向こうを向いて喋っていた。

最初と最後には11人の映画の観客屋根裏部屋に集まっていて、よくわからないことを話している。この人達は誰? 屋根裏部屋ってどこ?

主人公を演じた女性。
告別式ですぐまた別の男とつきあいだすような、そんな感じの女性には見えず、違和感が。最初の男とつきあう様子も、なんとなく『らしくない』感じが。だからなのか、観ていて退屈を感じた。

かなり高齢だと思うのですが、医師を演じた方と、もうひとり患者の男と、ふたりのシーンがあるのですが、そのシーンで眼が覚める思いがしました。
医師役の方は高齢で、口がよく回らず、声が聞き取りにくい。でも一生懸命聞き取ろうとしていると、なんだかすごく面白い。味がある。
一方主人公の女性役の方は、声もいいし、よく通るのだけれども、なんとなく退屈。
その対比が、芝居というものを考える上で面白いと思った。

それから映像表現がうまく使われていました。
舞台全体が白い壁で覆われていたのは、壁をスクリーンとして使うためなのですね。
映像はすごく頑張ってたのかもしれない。その苦労の程はぼくにはわからない。しかし舞台全体を覆う映像は、大雑把な感じもしないではなかった。
まだまだ解像度が足りないってことなのかなあ。

最初にが舞台全体を覆ったときには、ああ、きれい、美しい、と素直に思った。
でもそれがCGによくあるワイヤフレーム表示になったとき、がっかりした。どうしてなんだろう。
自分でもよくわからないんだけど。ワイヤフレーム表示があると、なんとなく素人相手に「CGだよ、すごいでしょう」って言われてるような気がして、ということなのかなあ。

役者がの話を持ち出すと、蛾の映像が出てくる。燃える話が出てくると、の映像が出る。
それはすごくわかりやすいけれども。どうなんだろう。これも説明的すぎてちょっと。

炎の映像が出るとき、照明が暗く落とされていた。これは炎の映像を綺麗に見せるための演出なんですよね? だとした、それにはぼくは反対です。役者の顔のほうをもっと観たい。でも暗くて見えない。イライラしました。

そう考えると、映像表現は必ずしも成功とはいえなかったのでは。効果的なシーンもあったとは思うのですが。



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