中野HOPEで。今日は二日目だったよ。
説明には「とある小さな街のとある小さな終わりの物語」とある。
トマトもつ煮580円。
何?トマトもつ煮って。食べたことない。なんとなくイメージはできなくはないけど、味は想像できないです。
ケーキの箱、運ぶとき軽そうだった。なかになんにも入ってない感じ。
空き箱?みたいな。
劇的ってなんだろうって考えた。
だって普通芝居を観にいくときに期待する劇的なことは何も起こらなかったから。でもつまらないわけじゃないんだよな。
劇的なことも、じつは起こってないように見えて、舞台上ではじつは起こっていたのだけれども、アンポンタンのぼくには起こってないようにしか見えなかったということなのかもしれない。でも起こってないように見えたとはいっても、何かが起こっていることはアンポンタンのぼくにもわかる。でもそれが劇的かというと、そういうふうには思われなくて、でも劇的といえなくもないような気もしないではない、、、。
ひょっとしたらチェーホフの「かもめ」の初演を観た観客は、こんなふうに何も起こらないことにがっかりしたのかもしれない。だとしたらここでつまらないと言ってしまったら、その観客とおんなじになってしまう。
いやいや、つまらなかったわけではない。というか面白かった。途中一回だけ欠伸しちゃったけど、それはきっと身体の生理現象で、芝居とは無関係だと思われる。
ただ期待していた面白さとは違っていただけで。
表向き平和に暮らしている商店街の人々。でもその内面には大いなる影を抱えていて、それが徐々に浮き彫りに、、、みたいな、よくある展開にならなかったというだけで。
ひと味ちがった『劇的』でした。
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物語の展開に、恥じらいみたいなのがあったよね。恥じらい?恥じらいというかさ。奥ゆかしさというか。ありがちな展開にはしないぞ、みたいな気持ちが。
ただ物語なんだから展開しないといけないわけで。展開したいけど、あんまりしたくない。やりたいけど、気軽にはやりたくない。いいとこのお嬢様っぽいというか。いや、、、。ちょっと違うか。
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