2012年10月21日日曜日

おれはいまここにいる

以前、書いた短篇です。
置いときますね。
感想など、ありましたら。

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 おれはいまここにいる

 隣に住んでいる爺さんが肉を分けてくれた。
「いちばん上等なサーロインだ。大事に食いな」
 そういって肉の塊を放り投げてよこした。嬉しかったね。おれは肉に飢えていたのだ。肉が食いたくて仕方がなかったのだ。肉、肉、肉と、肉のことばかり考えて、他のことは考えられなかったほどだ。
「ありがとう。いつもすまないね」
 よく研いだ包丁を取り出して、もらった肉を一枚厚く切った。塩をふって、フライパンで焼いた。充分時間を掛けて焼いた肉を皿に盛り付けて、ナイフとフォークを巧みに使い、食べやすい大きさに一切れ切って口に入れようとしたときに気がついた。
 そうだ。あいつにも分けてやろう。
 あいつというのは、家のなかで飼っている虎のことである。おれは家のなかで、虎を飼っていたのだ。
 虎というのは知ってのとおり肉しか食わない。だから毎日肉の調達におれは四苦八苦していた。自分では肉を食わず、虎に肉を食わせていた。おれが苦労して仕入れしてきた腐りかけの安い肉を、あいつは毎日まずそうに食うのである。しかし今日ここにある肉は、最高級サーロインだ。虎のやつもびっくり仰天するに違いない。
 おれは虎を呼びつけた。
「ほら、こっちに来い」
 そして残りの肉を全部塊のまま放り投げてやった。
「今日はいい肉だぞ。味わって食え」
 ところが虎のやつ、なにをとち狂ったのか、おれ様に襲い掛かってきやがった。そういえばここんとこ肉を買う金がなくて、虎のやつにはひもじい思いをさせていた。おれを恨むのも無理はない。しかし食われるわけにはいかない。おれは逃げようと、手近にあったものを虎に投げつけた。鉛筆があったので投げつけた。もちろん効果はなかった。やつはそれを大道芸人のように咽をたてて飲み込んだ。メモ帳があったのでそれも投げつけた。やつはそれも一瞬のうちに飲み込んでしまった。次に投げるものを探しているうちに、虎のやつはおれを大きな十本の爪で押さえつけ、頭から噛みついた。
 違うだろう。お前が食うべきはそっちの肉の塊であって、おれではないぞ。
 そう怒鳴りたかったができなかった。やつはおれをあっというまに平らげてしまったのだ。なんということだ。上等なサーロインよりもおれのほうがうまいというのか。死肉より生きているおれのほうが断然食い応えがあるということか。一般論なら納得できなくもない。だが、おれ個人の身になるとやはり納得はできない。虎なんか飼っていたことを後悔した。
 しかしすでに遅い。おれは虎の胃の中に納まってしまったのである。虎の胃の中には、幸運なことに鉛筆とメモ帳があった。おれはいまそれを使ってこの文章を書いている。
 まだ書きたいことはあるのだが、余白がなくなってしまった。とりあえずこのページだけ破いて、腸のほうに押し込むことにする。このメモ用紙は耐水性だ。消化されずに虎の肛門から噴出されることを祈る。
 助けてくれ。おれはいま虎の胃の中にいる。
 続きはまた書くつもりだ。

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