2013年4月24日水曜日

NYエロヒマドル『Looking for a victim』

やあ、みんな。元気に働いてるかい?

今日は六本木に行ってきたよ。おしゃれな街だよね。六本木に行くと、何もかもがおしゃれに見える。自分が場違いなのを感じる。
こんなとこに仕事なんかで毎日通ってたりするとさ、「私っておしゃれなのよ」って勘違いする人が多数出現するのもわかる気がするな。

コレドは前にも行ったことがある。バーがあるスペースだよ。劇場というには違和感が。
前に来た時にも、こんなふうに両側に客席があったな。あんまり好きじゃないんだよな、そういうの。対面の観客の顔が見えるからさ。なんか、嫌。寝てる人とかいるしね。まあ、観客のリアクションが見られて面白くないこともないんだけどね。でも、そういうのばっか気にしちゃったりするしさ。

女性で、無表情で、ぴんとした姿勢をずっと崩さず観劇している観客っているよね。見ていて、面白い。ほんとは何考えてんだろうって思ったり。芝居より、面白いぐらい。あと、疲れてるのか、すぐに眠ってしまうおじさんとかね。いるね。

去年はぼくも朗読やってたから。朗読のイベントって興味があるんだ。でも、演劇が絡むと、『朗読』って言わずに、『リーディング』っていうよね。なんでなんだろう。『朗読』じゃダメなのかな。なんで『リーディング』なんだろう。

表題の上演は、「リーディングと演劇を繋ぐ新しい試み」だって。「朗読と演劇」だろうって思うんだけど。どうしても「リーディング」って使いたいなら、「リーディングとプレイ」っていってほしい。いや、ごめん。なんか変だね。どうでもよかった。忘れて。

最初に、谷崎潤一郎『刺青』をゲストのひとが読んで、次にアリエルドーフマンの『死と乙女』の上演があって、最後は太宰治『駆け込み訴え』だったよ。

ゲスト(栗原秀雄)が『刺青』を読んでるときは、設定があって、女性(山崎未花)が目隠し手錠で椅子に座らされていて、男がたてる物音に敏感に反応していたよ。
でも女性は反応しすぎ。もっと抑えてほしいと思った。好みの問題だろうけど。

次の『死と乙女』でも、女優は感情を作りすぎ。感情を作らず、もっと自然に演技すべきだと思った。あんまり感情を作りすぎると見づらい。

最後の『駆け込み訴え』も、朗読者(青山治)は感情を作りすぎてると思った。

感情をあまり作らなかったゲストの『刺青』がいちばん聞きやすかったし、見やすかった。ま、もちろん、好みの問題なんだろうけどね。

「リーディングと演劇を繋ぐ新しい試み」かあ。そうなのかなあ。新しいかなあ。誇大広告感が。

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