去年の暮れあたりから、コリッチの『観て来た』欄に評を書くようになった。
そのとき5点満点で何点かをつける欄もあるんだ。
どんな基準でつけたらいいのか最初はわからなかったけど、
そのうち以下のような考え方でつけるようになった。
感動して泣いた、もう一度観たいと思ったら、5点。
最後まで、飽きることなく観ることができたら、4点。
途中、眠くなったり、欠伸が出たりしたら、3点。
眠くなる以前の芝居ならば、評価なし。
わかりやすい基準だ。しかしなかには微妙なのもある。3.5点といえるようなものや、4.5点といえるようなもの。そういうときは悩む。
また、これは途中飽きはしなかったけど4点つけるのはどうかなあとか、欠伸は確かに出たけどもっと高い点数かなあとかね。
そういうのをネチネチ考えるのも、楽しいもの。
普通は芝居を観た後に、その芝居について思い出しながら、『観て来た』評を考えたり、点数をつけたりする。帰りの電車のなかなんかでね。
ところが最近、芝居を観ながら、これは何点かなあと考えたりするようになってしまった。それは違うんじゃないかなあと思いつつも、つい点数について考えてしまう。お、いまの台詞は何点だなとか、この演技は何点だなとか。
いやね、もう。
悪い癖がついてしまった。この癖はなおしたほうがいいだろう。
いちばん簡単な方法は、もう点数はつけいなようにするということだろう。『観て来た』評で、思ったことを書くのはいいけれども、点数はもうつけないようにしようか。そうすれば、そのうち考えないようになるかも。
そうだ、そうだ。そうしよう。もう点数は考えない。もうそんなことは考えない。何様のつもりなんだよ、いったい。人様の芝居に点数つけるなんて!うぬぼれんのもいい加減にしろ!
そもそも最初から、違和感はちょっぴりあったからね、点数をつけるってのに。最近は慣れてきて、そういうのも感じなくなってきていたけど。惰性っていうんですよね、こういうの。
ただ芝居を観にいく時に、コリッチの『観て来た』評は参考になって、その評価で観に行ったり、行かなかったりもする。点数はすごくわかりやすいから、点数をつけるのが一概に悪いというわけでもないんだけどね。
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